訪問ありがとうございます!
「くにしげ」と言います。
1986年生まれ。
愛知県名古屋市在住。
元社会保険労務士事務所勤務。
「くにしげブログ」では
- 社労士講座の選び方
- 勉強ノウハウ
を記事にしています。
私は受験生時代に、多くのインターネット情報に助けられ、励まされ、社労士試験に合格することが出来ました。
今度は私が助ける側に回りたいと思い、情報発信を始めました。
社労士ってなに?という方は、こちらをご覧ください。
「くにしげ」の経歴
本当に負け犬人生です。
赤裸々に書くので、「あれ?くにしげに比べたら私の人生まだマシじゃない?」て思って、心が軽くなってもらえたら嬉しいです。
約10分程度で読み終わります。
では、スタート!
2009年~就職~
大学卒業後、小規模の珈琲のメーカーに就職するが、昼休みなし。
機械を動かしながら、片手間でおにぎりをかじる(笑)
毎日7時~21時の労働。
しかし、残業代は月40時間程度だけ。
さらには、年間休日84日という労働環境に耐えきれず、1年で退社。(面接で聞いてた話と全然違う。)
「機械は疲れないから、止めないで。」という社長の言葉が忘れられない。
2010年~決意~
大企業なら安心だと思い、某スーパーマーケットに転職。
サービス残業もなく、「ここなら腰を据えてやっていける。」と思い、24歳で結婚。
しかし、安心できたのもつかの間。
異動になり、朝6時から~22時までの過酷な労働環境になる。
上司に「月に30時間以上は残業申請しないで」と言われ、残りはサービス残業。
「友人の結婚式があるので、○○日休ませてください。」
と上司に言ったら、
「じゃあ俺が友人の結婚式に出て休んだら、お前俺の代わりが出来るのか?」と言われ、嫌になる。
この時初めて、「この会社の体制はこれが本来の姿」で、入社当時の店舗が異例だったと知る。
そんな時に前職の同僚から、MLM(簡単に言うと、自分で人に商品やサービスを売り、収益を得るビジネス。)の話を聞き、「これで成功して会社を辞めてやる」と決意。
2011年~副業~
MLMを必死に取り組む。
過酷な労働環境の中、寝る間を惜しんでセミナーに参加し、本を読み、人と会う。
私は本当に良い話を聞いたと思い、友人に声をかけまくる。
「これでみんなで経済的に豊かになって、毎日好きな事やろうよ!」
しかし、周りの反応は違った。
「そんな話する為に呼んだの?」
「友達辞めるよ?」
「お前、みんなが噂してるけど大丈夫か?」
試しに「MLM」とネットで検索してみると、悪いうわさがどんどん出てきた。
リーダーに相談する。
「人は変わろうとするときに、付き合う人間も変わる。今の現状を変えたかったら、乗り越える壁だよ。」
こう言われ、素直に信じて突き進む。
2012年~離婚~
サラリーマン+MLMの多忙な毎日が続いた。
妻に、「何時まで夢を見るの?普通に働いて、普通に生活して。」と言われるが、どうしても脱サラしたく、聞く耳をもたない。
数か月後、妻も耐え切れなくなったのか、「離婚して」と言われる。
私は承諾するが、この時妻が不倫をしており、すでに不倫相手の子を妊娠していた事を半年後に知る。
MLMで少し収入が出来ていたこともあり、「副業でこれだけ収入作れたなら、会社辞めて専念したら、いけるんじゃね!?」と思い、離婚した直後に会社を辞める。
2013年~葛藤~
現実を知る。
専念しても最高月収15万程度。
酷いときは2万前後。
貯金も底を尽き始め、派遣社員として働き始める。
MLMに対する気持ちが冷めていく。
2014年~諦め~
派遣として働いていた会社で、正社員に登用される。
「このままここで働いて、普通に生きていこうかな。」
こんな風に思い始める。
2015年~再婚~
再婚。
仕事も慣れてきたが、残業の多さ・仕事の密度に疲弊し、毎日に虚無感を感じ始める。
2017年~転機。東京へ~
転機が訪れる。
MLMを共に頑張っていた友人から、
「知り合いの社長が東京でビジネスやるために、優秀な人材を探してる。」
と声をかけられ、とりあえず会ってみる。
話を聞いてみると、焼肉居酒屋でのフランチャイズ展開の話だった。
会社は岐阜県にあり、社長たちは月に1度くらいしか東京へ行けないため、現場で管理してほしいとの事。
- 既に3店舗オープンしている
- 東京に優秀な飲食店専門のコンサルティング会社がついている
- 最終的には一店長ではなく、人材を育成して、全店舗を運営し、管理できる人を探している
だんだんと昔に思っていた、「独立したい」という想いが芽生え、話を承諾。
「まずは店舗で働いて、現場を学んでくれ。」という事で、会社を辞めて、店長として東京へ行く。
しかし、いざ東京に行ってみると、話が全然違っていた。
1店舗閉鎖し、メインの店も赤字。
フランチャイズ料も払っておらず、営業中に弁護士と業者がきて、レンタル備品(レジやガスコンロ)を回収される。
初任給も支払われず、仕入れ業者や従業員から「金を払ってくれ。」と催促される。
社長から、「お金を貸してほしい!」銀行からもう少ししたら借入できるから、それで必ず返す!」
と熱意に押され、490万カードローンでお金を借りて渡す。
しかし、どんどん経営は悪化する。
相変わらず給料もでない。
この時ようやく、「騙された」と気付く。
私は見切りをつけ、名古屋に帰る。
たった4ヶ月の出来事。この時ちょうど12月。
490万の借金を抱え、4ヶ月給料が出なかったため、貯金も無し。
私の人生終わったと思った。
2018年~借金生活~
名古屋に戻り、弁護士に債権回収の相談する。
「会社と連絡がとれない。社長も行方不明。それにお金が無いところからから回収できない。」
と言われる。
しかし、「個人再生なら借金を確実に減らせます。」と言われた。
※個人再生とは、自己資産(家・車など)を維持したまま借金の一部を3年間で払うことを条件に残りの借金返済を免除してもらうこと。
私は弁護士に個人再生の手続きを依頼する。
さぁ仕事をどうするか。
仕事を探していると、個人事業主の友人から「知り合いの社長紹介しようか?」と言われる。
「またか…」
警戒しつつ会って見ると、小さな派遣会社を経営している社長さんだった。
13年運営をしており、かなり利益が上がっている様子。
お金もすぐに必要だったため、働き始める。
入社して3ヶ月、1つの現場の担当になった。
これがまた、ブラック労働の始まりとは、この時は思いもせず…
2019年~出世への道~
私の担当現場の売り上げが、どんどんあがる。
社長の私に対する態度が変わる。
初めは期待していなかったようで、直接の連絡は一切なかったが、毎日のように電話が来るようになる。
「あれもやってくれ。これもやってくれ。」
「あいつの指導をしてくれ。」
営業だけでなく、庶務・労務・経理の仕事までまわってくる。
給料がどんどん上がる。
しかし、気付けば
「何かわからないことがあれば私に聞け。」という会社の雰囲気になっていた。
正直キャパオーバー。
休みの日も仕事に追われ、出勤前、出勤後も電話・メール対応。
そうこうしているうちに、個人再生の手続きが完了し、残った借金は約240万。
「おまえを上にあげてやる。役員にしてやる。」
社長にこう言われ、借金の返済もしなければならないため、必死に頑張った。
2020年~絶望~
出世の道が見え、将来に希望が持て始めたころ、男の子が生まれた。
これから、幸せになれると思った。
しかし、現実は違った。
社長「今度、部長と役員という形で、二人採用したから。」
私「えっ!?私を役員にするのでは?話がちがう!」
社長「お前にはまだ早い。」
私「…またいいように使われた」
張りつめてい糸が切れた。
妻から「最近おかしいよ。病院行って来たら?」と言われ、病院へ行き、診断結果は「うつ病」。
私は2ヶ月間休職する。
休職中、考える。
何がいけなかったのか。
独立を目指してもうまくいかず、会社で働いても過酷な環境。
この時に「社会保険労務士」という言葉を知る。
「労働基準法?」
「社会保険?」
私は早速資料を無料請求し、予備校に通いながら勉強し始める。
「会社は労働者に対して、守らなけれならない法律がある」
私はこの時初めて、自分の無知さを知る。
2021年~社会保険労務士の道へ~
休職後、待っていたのは役職を外され、「減給」だった。
「残業しなくていいから、固定残業代もカットするね。」
毎月40時間分の固定残業代が出ていた。
「今まで毎月100時間以上残業して40時間分しか出てなかったのに、残業しなくなったらカットなんておかしい!」
文句を言ったが、社長は聞く耳持たず、私への態度が掌を返したように冷たくなった。
私は転職を決意。
「社会保険労務士になって、私と同じような労働者を守りたい!」
「ブラック企業を無くしたい!」
退職願いを提出し、社会保険労務士事務所に絞って転職活動をする。
運よく1社から内定をもらい、働き始める。
実務を経験しながら勉強する。
しかし、働いていくうちに、「あれ?」と思う。
私は、「法律を守るように会社を指導するのが社会保険労務士の仕事」と思っていた。
しかし実際は、「社会保険労務士のお客様は社長。労働者に文句を言わせないためにどうするか。」を仕事にしていた。
2022年~決意(再び)~
事務所の所長と意見が対立し、退職。
その後も勉強は続け、社会保険労務士の資格を取得。
借金完済!
「ブラック企業をなくすために、多くの人に労務の知識を持ってほしい。」
「一人でも多くの人に、社労士の資格をとって欲しい。」
「私と同じような悩みを持っている人の手助けをしたい。」
そう思い、ブログ配信を始める。
まとめ
「独立に夢を持ち」
「会社に希望をもち」
「自分の無知さ」
「人を信じきるお人よし」
「嘘をつけないまじめさ」
そんな性格から、たくさん痛い目を見てきました。
「あの時に今の知識があればなぁ。」
こんなことをよく思います。
以上が私の経歴です。
このブログサイトが、ほんの少しでもあなたの助けになれば、こんなにうれしい事はありません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました(^^)
コメント